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2025/09/11

書籍「本田宗一郎 危機の決断 夢・マン島レースへの挑戦」

経営者はピンチの時こそ夢を大切に

今回は、書籍「本田宗一郎 危機の決断 夢・マン島レースへの挑戦」をご紹介します。

著者は、ノンフィクション作家の倉本久。この本には、Hondaの創始者・本田宗一郎の苦労と成功の物語が、ダイナミックに描かれています。中でも圧巻なのが、第一章「マン島レースへの挑戦」。この章だけでも本書を読む価値があると思わせるほど、濃密な内容です。

本田宗一郎の原点ともいえるこのエピソードには、中小企業の経営にも通じるヒントが詰まっています。そこで今回は、その第一章をぎゅっと凝縮してお届けします。

Hondaの危機

本田宗一郎の起業家としての天性は、多くの人を惹きつける魅力にあふれていました。しかし彼は、決して順風満帆な経営環境にいたわけではありません。むしろ、会社として最大級の危機を迎えていました。

時は昭和29年。日本は敗戦からの復興をめざし、朝鮮戦争の特需によって経済が徐々に成長していました。しかし、休戦協定の締結と同時に、日本銀行が企業への資金の融資を厳しく制限。そのあおりを受け、Hondaは創業以来の倒産危機に直面することになったのです。そんなさなか、本田宗一郎は「宣言書」という書籍を出版します。

本田宗一郎の宣言

その「宣言書」には、次のような想いが綴られていました。

“社員の皆さん、いつもありがとうございます。Hondaがここまで来られたのは、皆さんのおかげです。それは重々承知の上で、僕は今、夢に挑戦したい。僕の幼い頃からの夢は、自分のつくった車で世界一になることです。今まではその器がないと思い、レースへの出場を躊躇ってきました。でも今こそがその時だと思ったのです。これだけのメンバーが揃っている、今こそがチャンスなのです。

Hondaは、世界一のオートバイをつくります。日本国内のレースではなく、マン島レースという世界一を決めるレースに出場します。だから、みんなの力を結集して、この夢を勝ち取りましょう――“

本田宗一郎の覚悟

会社がもっとも大変な時期に宣言書を出した真意は、一体何だったのでしょうか。

本田宗一郎は「社員を鼓舞しようという意図はなかった」と語っています。

それよりも、「Hondaが会社として強くなるためには、今引くわけにはいかない」という信念に突き動かされていたのです。これまで積み上げてきたすべての技術と想いを、世界に証明するためには、今こそHondaのオートバイが世界一だと伝えなくてはならない。それが、敗戦国・日本が再び世界に誇れる未来を築くためでもありました。本田宗一郎は、「Hondaの使命は日本産業の啓蒙にある」と考えていたのです。

彼は当時を振り返り、こう語っています。

逆境の時こそが一番の修行期間だったんですよ。人間、逆境をくぐり抜けないで成功しようなんていうのは無理ですよ」。

今回のまとめ

本田宗一郎から学べることは、「ピンチの時こそ、夢を見て、夢を語ること」の大切さです。自分たちの夢をどこに向かわせるのかを明確に打ち出し、自分ひとりの夢ではなく、従業員みんなの夢にしていく。そんなリーダーシップが、経営者には求められているのだと気づかされます。

ぜひ一度、手に取って読んでみてはいかがでしょうか。きっと、あなたの中にも、新たな挑戦への火が灯るはずですよ。

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